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お金のあるべき姿


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これまでの投稿でお金の本当の発行の仕組みや日銀、国債の役割について知って頂けたと思います。

 

今回はお金は本来どういうものであるべきか?そもそもお金とは何か?ということについて考えたいと思います。

そもそもお金とは価値を交換する媒体物です。

価値とはモノやサービスのことです。

お金はそれらの価値を円滑に交換するためにあります。

最も大事な原則として、お金の量と価値の量はバランスする必要があります。一方が多すぎたり、少なすぎたりすると円滑な交換に支障をきたします。

 

お金と価値のバランスを保つにはもう一つ、大きな理由があり現代のお金の裏付けを保つにはそれしか方法がないからです。

かつて、お金の裏付けは金でした。1944年~1971年までは世界のルールとして金1オンス35ドルと決められていて、他の通貨もドルとの固定相場(円は1ドル=360円)によって、間接的に金に紐付けられる金本位制がしかれていました。

これをブレトン・ウッズ体制と言います。

ところが1971年にニクソン大統領が金とドルとの交換を停止(ニクソンショック)し、その後、直ぐに結んだスミソニアン協定も長続きせず、ブレトン・ウッズ体制は終了し、それ以来、変動相場制になりました。

 

経済の発展で膨大な量の価値が生産されるようになると、お金の量も膨大になります。

その全てと金を交換することは不可能です。

だから、ニクソンショックが起こることはある意味、必然でした。

それ以来、金に変わる裏付けは存在しません。

実際のところ、この世にある全てのお金に匹敵し、且、希少性のある何かなど存在しないからです。

結局、この世にあるお金全ての裏付けと成りえるのはそれによって交換出来る実際の価値全てです。

だから、お金の量と価値の量はバランスする必要があります。

それがお金に実際の価値があるという裏付けの状況ということです。

 

しかし、今の仕組みではこのバランスを保つのに問題があります。

それは金利です。

身の回りのモノは時間と共に減価します。

壊れたり、消耗したり、劣化したり、サービスもチープ化して価値を下げます。

ところがお金は逆で時間と共に増え続けます。

だから、お金もそれに合わせて、減価しなければなりません。

しかし、ここで問題が起こります。

本来なら、バンランスしなければなりませんが、一方は時間と共に増え、もう一方は減ります。

いずれ、バランスが取れなくなるのは明らかです。

 

しかし、それでもある程度まではなんとかなっていました。

それは経済成長があったからです。

経済成長とはより多くの価値が作られ、消費されるということです。それにより十分な量の価値が生まれれば、増え続けるお金と何とかバランスします。

実は誰かの借金として、お金を発行する仕組みもその経済成長を促進する方向性とはある時までは非常に有効でした。

お金を誰かの借金として発行すれば、それを借りた人は必ず、生産活動を行い、元本+金利以上の価値を生み出さなければなりません。

それを売って、お金に換え、初めて返すことが出来るからです。

つまり、誰かの借金としてお金を発行することによって、その裏付けとなる実際の価値がこの世に生み出されることを担保していたということです。

 

そして、もう一つ大事な原則として、発行されたお金は必ず使わなければなりません。

お金は使われて初めて、人を動かし、モノを動かし、価値を生み出します。

人もモノも動かさないお金は何の価値も生み出されません。

したがって、それだけが増えても何の裏付けのないお金となります。

 

しかし、現在は裏付けのないお金が氾濫しています。

実は日本だけではなく、世界でもお金だけが増え続けているのです。

1980年代までは世界GDPと世界金融資産はほぼ同じでした。

つまり、お金と価値の量はバランスしていました。

しかし、1990年頃になると世界金融資産は世界GDPの倍に膨らみました。

そして、記憶にも新しい世界金融危機が起こった2007年前後にはそれが3.5倍まで膨らんでしまいました。

つまり、お金だけが何の裏付けのないまま増えたということです。

これに大きく関係したのが、時価会計制度、金融工学を駆使した金融商品です。

それによって、実際にはないものをあるものとして帳簿上見せかけ、それがばれたのが世界金融危機です。

 

しかし、何故こんなことになったのか?

それはお金が増えるペースに合わせてずっと価値を生み出し続けることが不可能だからです。

お金は金利で無限に加速度的に増えるわけだから、それとバランスするには、実際の価値もそうならなければなりません。

しかし、そんなことは不可能です。

資源は有限で、植物、動物、人間も成長スピードが決まっています。

工業製品もいくらでも早く作れる訳ではないから、到底追いつけられません。

それを無理に追い付こうとすれば、とても可笑しなことになります。

 

何故いつも、こんなに生産や消費に追われて、何をするにしても忙がされるのか?と。

 

それは別に人の幸せの為ではありません。この不自然なお金の発行の仕組みが、経済成長を強制するからです。

しかし、結局は、無理なものは無理です。

追いつける筈ありません。

だから、帳簿の上でさもお金が増えた様に見せかけるしかなかったのです。

これは日本でも世界でも変わりません。

国債の金利で帳簿上増えたお金は実際にはありません。

お金とは影の様なものです。実体があって初めて影が出来ます。

影だけ増えても、豊かにはなりません。

実体1を買うのに影が2必要になるだけです。

影の価値は半分になって少しも豊かになりません。

 

お金の量は実体価値の日本は3倍以上、世界では4倍以上に膨らんでいます。

それは3倍、4倍豊かになったのではなく、持っているお金の価値が1/3、1/4になっただけです。

実感しないのは表面化しないからです。

何故、表面化しないかは増えたお金使われないからです。

増えたお金が4倍使われれば、値段も4倍、お金の価値も1/4になります。

要するに、300%のインフレということです。

お金が4倍でも、1/7しか使わらなければ、値段もお金の価値も変わりません。

お金は増えたものの実際には使われない為に、お金の価値は落ちないだけなのです。

つまり、インフレが顕在化されないということです。

 

何故、お金が使われないかとそれは二極化が進みすぎて、使いたい人の所に十分なお金がないからです。

少し前のデータですが、2006年の国連大学のリサーチによると、全世界の成人人口の10%の人が85%の富を所有しています。

一方、貧困層の50%の人は全部合わせても1%の富しか持っていません。

全世界の9割の人が自分のお金を全部使っても、全体の15%のお金しか動かせません。

 

日本でも二極化は進んでいます。

世界の様に極端ではありませんが、静かに確実に進んでいます。

二極化の原因は金利です。

全てのお金に金利が掛かるということはあらゆる商取引にそれが掛かるということです。

人がお金を払う度にそれを少しずつ負担することになります。

受け取る場合は、国債の利息の様に、預金、年金、生命保険、損害保険、特に最近の多いはクレジットカードです。

クレジットカードを使うということは短期的な借金です。

その金利を払うのは、借りた本人のカード利用者ではなく、使われる店側です。

決済手数料として、商品の3~5%が決済手数料として、クレジットカード会社に店側が払うシステムです。

つまり、クレジットカードを使う度に本来、自分が払うべき金利を店から受け取っているということになります。

さらにポイント等が還元されれば、それ以上を受け取ることになります。

ただ、クレジットカード利用者だけが得をするわけではありません。

決済手数料を払う店側はそれを価格に反映させるので、結局はカード利用者も含め、消費者がそれを負担することになります。

現金払いだろうがクレジットカード払いだろうが商品の値段は変わりません。

だから、クレジットカードを持てない様な子どもや学生等、弱い立場の人達がクレジットカードを使う人のせいでさらに負担を強いられるのです。

 

最近、どこに行っても広告を見るクレジットカードの勧誘やカードローンの宣伝は、借金を増やそうと必死ということです。

中でもクレジットカードは借金を増やすには上手い方法です。

借りた本人に金利を払わず、さらにポイントまで付与するからです。

 

しかし、クレジットカードを使えば使うほど、世の中の借金は増えます。

何故、借金を増やさないといけないのかはそうしないと立ちうかないシステムで、その中で皆が必死に生き延びようとしているからです。

一人一人の判断は間違いではありませんが、大きな仕組みの中では社会は確実に二極化していきます。

何故なら、金利と言うのは結局はお金のない人からある人への所得の移転だからです。

二極化が行き過ぎた社会は皆は幸せにはなれません。

何故なら、大多数の人の購買力を失ってしまい、経済全体が停滞するからです。

増えたお金も使いようがなくなります。

ですから、個々の損得勘定を超えて、もっと大きな視野で捉える必要があるのです。

 

世の中の人達の多くは短期的にお金に変わる価値ばかり目が行きがちです。

要するに儲かるかどうかです。

儲からない事業にはお金は発行されません。

何故なら、その判断は銀行がしているからです。

しかし、世の中には短期的にはお金にならなくても大事な価値が沢山あります。

もっと長い目で見れば後で物凄いお金になるかもしれないし、そうではなくても守らなくてはならない価値があります。

しかし、今の仕組みではそれにお金を発行する方法は基本的にはありません。

 

そういう価値は政府が税金を集め、政府支出してお金を発行しています。

例えば、教育、社会保障、インフラ整備、その他さまざまな政府機能、サービスなどです。

しかし、問題なのは税金で集められるそのお金も元々は、銀行が民間にお金儲け用に貸したお金で、それには金利が付きます。

だから、政府もそのお金を使うからには民間の金利以上の生産性を求めなければなりません。

でなければ、金利負担が重くなり、結局、民間の税金も収益も落ち、財政赤字になるからです。

財政赤字に陥れば、十分な政府事業は行われず、お金にならない大事な価値は削られます。

でもこれは政府事業の質の問題ではなく、国家がもっと若ければ、例えば政府が作る道路や、橋や公園などが劇的に民間の収益を上げることがあったかもしれません。

しかし、日本のような成熟した国で、そんな政府事業はほとんど残っていません。

その代り残っているのは例えば、介護などの福祉事業、老朽化したインフラのメンテナンスです。

これらにいくらお金を掛けても、民間の生産性が劇的に上がるわけではないから、短期的に採算が上がらないのは当たり前なのです。

 

ただし、考え方を変えれば、これは大きなチャンスなのです。

それは例えば、介護大国として、世界トップのいくためのノウハウ、技術開発、インフラ整備でもただ単に直すだけではなく、次世代仕様の持続可能な都市に全面的に作り直すことや、再生エネルギーの開発、東日本大震災の復興等、日本だからこそできる世界最先端の国家事業を行えば、それははるか遠くの未来に向かって大きな価値を生み出します。

日本だけではなく、世界に対してもです。

 

ただし、一番重要なポイントはこれを決して税金でやらないことです。

税金でやろうとした瞬間、短期的な採算性に縛られ、何もできなくなります。

そもそも、今ある全てのお金は銀行が民間に他の事業の為に貸したお金です。

それを少しずつ税金で集めても、到底賄えるような事業ではありません。

それにお金と価値はバランスしなければならないことです。

それにはお金を発行したら、それに匹敵する価値を生み出さなければならないからです。

しかし、逆に真なりで価値が生まれるなら、それに匹敵するお金も発行しなければなりません。

もし、この事業が社会に大きな価値をもたらすのならば、それに匹敵するお金を発行しなければなりません。

しかし、今の銀行はそこまでの未来を見通せません。

つまり、銀行ではそのお金を発行することはできません。

 

だから、今こそ政治家がそれを見通し、政府がお金を発行して、この国家事業を推し進めるしかありません。

ところが今の国会ではそんな事業の話はされていないのが現実なのです。

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